2018年02月18日

旧約聖書を読む会

今日は礼拝後に、旧約聖書を読む会がありました。
旧約聖書を読んで、当番の人が感想を述べ、それからみんなで話し合うという内容です。

今日の当番はちびごりら。
読む箇所は、創世記18章です。
イサクの誕生の予告と、ソドムのための執り成しについて書かれています。

はじめのエピソードはサラについて、後の方はアブラハムについて書かれています。
二人の信仰の違いを感じました。
サラは神様の言葉を信じず、密かに笑いました。
でもそれを指摘されて、否定しました。
ただただ恐ろしかったのだと思います。
神様に、自分の気持ちや考えを伝えたり、問いかけたりすることなど、考えもしなかったでしょう。

でもアブラハムは、真っ向から神様に交渉しています。
叱られるとか拒否されるとか、そんなことを考えているのかいないのか、神様にしっかりと自分の言いたいことを伝えています。
 
この二人の違いは、どこからくるのでしょうか?
そこで、サラとアブラハムが登場したところから、聖書を読んでみました。
創世記の12章から23章までです。
アブラハムは、何度も神様と言葉を交わしています。
けれどもサラが神様と会話をしたのは、18章15節の1カ所だけです。
サラが、12章でファラオの元に、20章でゲラルの王に召し出されたとき、神様はサラを守ってくださいました。けれども直接、言葉は交わしていません。

アブラハムは神様と何度も言葉を交わし、神様を身近に感じられるようになっていたのだと思います。
それに、17章で神様は、アブラハムに、サラに男の子を与えると告げています。
その時はアブラハムだって、神様の言葉を信じられなくて笑ったのです。
神様と言葉を交わしたことのないサラが、神様の言葉を信じられないのも、自然なことだと思います。
サラにとって、神様は信じてはいても、遠い存在だったのではないでしょうか。

では、ちびごりらはどちらでしょうか?
アブラハムタイプかサラタイプか・・・? 
どちらでもないと思います。
アブラハムのように、神様と交渉するようなことはできません。
ではサラタイプ? それもちょっと違う。
ちびごりらも、サラのように神様の言葉を信じられないと思います。
それで、心の中で否定するでしょう。
でも、それを神様に指摘されたら、素直に認めてしまうと思います。
そして謝ります。泣きながら、ひたすら謝ると思います。
神様は憐れんで、信仰の足りないちびごりらを許してくださるでしょう。

神様が示してくださる道を、歩んでいきたいと思います。

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posted by ちびごりら at 14:50| Comment(0) | キリスト教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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