2018年12月27日

すべて定められた時がある

25日は、教会で黙想の時がありました。
教会で自由に黙想できる時間です。

ちびごりらは、毎年行っています。
そして、いつも何か「気づき」があります。

今年の気づきは、「すべて定められた時がある」ということ。
旧約聖書のコヘレトの言葉(3章1節)です。
 何事にも時があり
 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

さらに、9節には、こう書かれています。
 人が労苦してみたところで何になろう。


そうなんです。
ちびごりらは、いずれ復職することを考えて、どんな職種がいいのか、どんな働き方がいいのかと、ずっと考えてきました。
どうすれば自活できるだろうかとも、考えてきました。
でもいくら考えても、はっきりした答えは見つかりませんでした。
また、復職への準備として、保育関係のボランティアをしたいと考え、いろいろ探してきましたが、見つかりませんでした。
ピンとこなかったり、「これだ」と思っても断られたり・・・

それは、答えを与えられる時がきていなかったからなのです。
ちびごりらがじたばたしながら考えても、答えが見つかるわけがありませんでした。

だって、ちびごりらは今、音訳ボランティアの講座を受けています。
勉強は大変ですが、とっても楽しい。

あんなにいろいろボランティアを探しても、見つからなかったのに。
まさか、音訳ボランティアが答えだったとは。

だから、仕事も時期がくれば見つかります。
神様が教えてくださいます。
「果報は寝て待て」じゃないけれど、ゆっくり待てばいいのです。

どういう仕事があるのか、どんな働き方があるのか、情報は集めます。
そして、神様の御心が示されるのを待ちます。

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posted by ちびごりら at 09:00| Comment(0) | キリスト教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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